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特集|2018.10.26

歴女必見!戦国武将ゆかりの箱根・小田原スポット巡り

ISSUE

伊豆一国を治めていた戦国大名・伊勢宗瑞(のちの北条早雲)は、相模への進出を企て、明応9(1500)年に大森氏の居城であった小田原城を奪取したと伝えられています。以後、北条氏は天正18(1590)年に豊臣秀吉によって滅ぼされるまで、5代(早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直)、100年にわたって東国の領主として覇権を振るいましたが、その居城となったのが小田原城です。ちなみに、伊勢氏が北条氏と名乗るようになったのは、氏綱の時代になってからとのことです。

さて、今年(2018年)は、家督を継いだ2代・氏綱が小田原に開府して500年。そして来年は、初代北条早雲没後500年という節目にあたります。

小田原では「北条早雲公顕彰五百年事業」が展開されていますが、北条氏の舞台になった小田原、箱根の北条五代ゆかりのスポット・小田原城と早雲寺についてご案内しましょう。

北条五代と小田原城

大森氏の時代の小田原城は、これまで、小田原駅の山側・県立小田原高等学校付近の八幡山に築かれた山城だったという説が有力でしたが、「最近では現在の天守閣がある本丸や二の丸に大森氏から継続してあったと考えられるようになりました」(小田原城天守閣館長・諏訪間順さん)とのことです。小田原進出後も早雲は、伊豆の韮山城にとどまっていましたが、氏綱の時代から小田原城が名実ともに北条氏の本城になりました。

小田原城銅門

北条時代の小田原城は内城(本丸、二の丸、三の丸など)と城下町を戦禍から守るために設けられた大外郭(総構、総曲輪)は、5代・氏直の時代には総長9キロメートルにも及んでおり、お城の構造は、「3階建ての櫓や望楼があったと考えられる」そうです。

総構の遺構 小峰御鐘ノ台大堀切

眼前に相模湾という自然の要衝、そしてその稀に見る大外郭の規模によって、武田信玄や上杉謙信なども攻め落とすことができず、小田原城は“難攻不落の城“として広く知られていましたが、豊臣秀吉の巧みな戦術によって、ついに北条氏は滅び、100年の歴史の幕を閉じました。

城址公園として整備された小田原城今昔

江戸時代になると小田原城の城主は、徳川家康の家臣・大久保氏~稲葉氏~再び大久保氏と引き継がれ、北条時代の中世城郭は、規模が縮小されたり大規模に改修され、江戸幕府を支える上での重要な近世城郭へと姿を変えていきました。

小田原城摩利支天安置空間

やがて明治維新を迎え、小田原城は明治3(1870)年に廃城になり、ほとんどの建物は解体されてしまいました。残っていた石垣も大正12(1923)年の関東大震災で崩れ落ちてしまいましたが、本丸、二の丸の大部分と総構の一部が国の史跡に指定されるとともに、「小田原城址公園」として整備が進み、昭和35(1960)年に天守閣が復興されました。続いて昭和46(1971)年に常盤木門、平成9(1997)年には銅門(あかがねもん)、平成21(2009)年に馬出門が復元されました。そして、平成28(2016)年には、耐震工事が終わった天守閣がリニューアルオープン。小田原城は、内部の展示も一新され、安全で快適な施設に生まれ変わりました。

小田原城1階映像シアター

天守閣の1階は江戸時代の小田原城、2階は小田原北条氏の歴史や戦国時代の小田原城が紹介されています。4階、5階にも貴重な資料や美術工芸品などが展示され、5階にはかつての天守最上階にあった「摩利支天」が安置された空間もありますので、小田原城をまるごと知ることができます。

【小田原城天守閣】
開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日:12月第2水曜日、12月31日・1月1日
入館料:一般500円、小中学生200円

【小田原城址公園】
日本の歴史公園100選の一つ。
子ども遊園地もあり、四季折々に園内を彩る桜、つつじ、あじさい、花菖蒲、紅葉も美しく、国内外の多くの人々が訪れる人気観光スポットです。
 
【箱根フリーパスでさらにお得に】
なお箱根フリーパスをお持ちの場合、小田原城の天守閣や常盤木門、歴史見聞館の入場料が割引となります。詳しくはこちらをご確認ください。

秀吉の本陣として使われた早雲寺

早雲寺本堂

戦国武将・北条早雲の遺言によって、嫡男・氏綱が大永元(1521)年に建立した金湯山早雲寺は、小田原北条氏の菩提寺として栄え、大徳寺関東龍泉派の古刹として広く知られていました。3代・氏康、4代・氏政によって護られてきた早雲寺の境内は湯本全体に及んでいたといわれ、本堂をはじめ10数におよぶ塔頭(子院)や僧侶のための寮舎が立ち並び、関東随一の大寺院として栄えていました。

絹本淡彩北条早雲像(早雲寺蔵・国指定重要文化財)

しかし、天正18(1549)年の豊臣秀吉の小田原攻めによって北条氏は滅亡。秀吉の本陣として使われた早雲寺は、秀吉が石垣山一夜城に移るときに火を放たれ、栄華の幕は降ろされました。

その後、寛永4(1627)年前後に、早雲寺の遺宝を密かに隠して再興の時機をうかがっていた菊径和尚によって再建された早雲寺は、箱根を代表する古刹として新たな歴史を刻んでいます。

早雲寺北条五代の墓

境内には、北条五代の墓(供養塔)や江戸時代初期に造られた枯山水石庭、連歌師・飯尾宗祇の墓、秀吉の逆鱗に触れてこの境内で惨殺された茶聖・千利休の高弟・山上宗二の追善碑、そして秀吉が小田原攻めの時に石垣山一夜城で陣鐘として使った銅鐘などを見ることができます。また裏山の樹齢数百年を超える「早雲寺林」(県指定天然記念物)は、ヒメハルゼミ(箱根町指定天然記念物)の棲息地として知られています。

本堂襖絵

本堂にある襖絵は、江戸時代初期に狩野派の絵師の手によると伝えられ、竜虎や水鳥などが生き生きと描かれており、毎年、11月に早雲寺で開かれる「特別展」では、この襖絵(県指定重要文化財)をはじめ、「絹本淡彩北条早雲像」(国指定重要文化財)など、数々の寺宝を見ることができます。

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