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生涯で500余りの会社を設立し「日本の資本主義の父」とも呼ばれる「渋沢栄一」。大河ドラマのモデルに選ばれたり、令和6(2024)年から流通する新1万円札の肖像に抜擢されたりと、いま注目の人物です。銀行や製紙、繕績、化学工業、鉄道、教育、また社会福祉事業に優秀な種を巻き、育てたことは多くの人が知るところです。その手がけてきた事業の中には、箱根の地で行われてきたものもあります。今回は、箱根にある渋沢栄一ゆかりのスポットとその歴史についてご紹介。箱根を訪れた際には、観光を楽しみつつ、渋沢栄一ゆかりのスポットを巡り、当時の渋沢栄一に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?
幕臣・明治政府の官僚を経て実業家に転身した渋沢栄一。日本の近代経済社会の基礎を築き、実業界のみならず社会公共事業、民間外交などにおいても活躍しました。明治13(1880)年、益田孝・渋沢喜作・小松彰と共に出資を行い、仙石原に牧場「耕牧舎」を開拓。明治38(1905)年に牧場を廃業してからは、宮内省(現在の宮内庁)と共に牧場跡地を別荘地として再開発すべく、渋沢栄一のほか耕牧舎の関係者らで昭和5(1930)年に「箱根温泉供給株式会社」を設立。大涌谷の温泉を仙石原一帯に供給し、現在の仙石原周辺の温泉観光地を支える大きな事業を成し遂げました。
ゆかりのスポットその1
渋沢栄一が行なった数多くの事業の中に開墾があります。そのひとつが耕牧舎という牧場でした。明治12(1879)年当時、国内にも毛布製造の原料となる羊毛の必要性を感じていた渋沢栄一は、益田孝ら複数の協力者とともにメリノ種の羊500頭の借用を願い出ます。許可を得ると、すぐに牧場地の選定を従兄弟の須永伝蔵に指示します。その牧場地として選ばれたのが仙石原の地でした。明治13(1880)年、渋沢栄一らによって拓かれた耕牧舎は、仙石原の集落から芦ノ湖の一帯まで700ha以上もの敷地を有する牧場でした。現在ではその跡地のほとんどがゴルフ場やリゾート施設となっており、観光客から親しまれています。耕牧舎では主に弓馬の牧畜のほか、当時はまだ珍しかった牛乳やバター、牛肉などの販売が行われており、避暑に訪れた外国人に需要があったのだそうです。しかし、火山活動がある箱根の土地柄や、基礎的な環境がなかなか整わないことにより牧場経営は難航。明治38(1905)年には、廃業を余儀なくされました。現在サイクリングコースとなっている仙石原~湖尻自然探勝歩道と「長尾峠」の分岐点近くには、耕牧舎跡の石碑があり、その隣には渋沢栄一の従兄弟で耕牧舎の現地支配人だった、「須永伝蔵」の記念碑があります。仙石原周辺を訪れた際にはこの石碑に立ち寄り、当時の彼らの功績に思いを馳せるのも素敵です。
狩猟を終えた耕牧社の人々(明治35年11月21日/出典:箱根温泉供給株式会社)
牧場内を駕籠で検地(年次未詳/出典:箱根温泉供給株式会社)
ゆかりのスポットその2
箱根の観光名所「大涌谷」は、約3,000年前の箱根火山最後の爆発によってできた神山火口の爆裂跡です。荒涼とした大地には白煙が立ち込め、現在も火山活動の迫力を感じられることから多くの観光客で賑わいます。噴出する蒸気に地下水を混ぜてできあがった温泉と、自噴する温泉を混合するという生成方法です。この「大涌谷温泉」を仙石原一帯と強羅に供給したのが、渋沢栄一が耕牧舎の関係者たちと設立した箱根温泉供給株式会社です。明治9(1876)年、日本政府に招かれ東京医学校(現在の東京大学医学部の前身)教授として来日したドイツ人医学者エルヴィン・フォン・ベルツは明治12(1879)年頃より温泉研究のために、箱根・熱海・伊香保を訪れていました。明治20(1887)年には宮内省に対し「帝国の規模となるべき一大温泉浴場設立意見書」を提出、箱根大涌谷の利用を進言しました。このベルツが日本一と評した温泉があるということを伝え聞いたのが、渋沢栄一とともに耕牧舎を設立する益田孝です。『自叙益田孝翁伝』には、ベルツが日本一だという温泉があると伝え聞いたことや、渋沢栄一に仙石原の話をして牧場を作ろうと伝えると大賛成して早速作ることになった経緯が記されています。渋沢栄一と益田孝らによって創立した耕牧舎がやがて箱根温泉供給株式会社となり、耕牧舎跡地とその近くにあった大涌谷温泉を生かした温泉付き別荘地の開発や、温泉を各地に供給する企業として発展しました。その結果、温泉に恵まれなかった宿も利用客が増え、現在の仙石原周辺の観光業が栄えるきっかけとなりました。これには大涌谷の地主であった宮内省や、当時大涌谷の温泉権を所有し、それぞれの施設・分譲地まで引湯していた現在の仙郷楼・万岳楼・俵石閣・箱根登山鉄道株式会社などの理解や協力もありました。大涌谷温泉の泉質は酸性・カルシウム・硫酸塩温泉となっており、冷え性や関節痛などさまざまな効果が期待できるといわれています。大涌谷を観光したあとは、周辺の施設で大涌谷温泉を堪能してみてはいかがでしょうか。
大涌谷からの引湯作業の様子(出典:仙郷楼)
箱根名勝 大涌谷噴烟(大地獄)※当時の大涌谷の様子(出典:箱根町立郷土資料館)
大涌谷一帯に湧出する温泉は少なく、かつては一定の量を各施設に供給することは難しいことでした。そこで昭和5年(1930)に設立されたのが、渋沢栄一が創業者として益田孝(旧三井物産の初代社長)とともに名を連ねる箱根温泉供給株式会社です。大涌谷に噴出する蒸気に、地下から汲み上げた温泉用水を流し込むことによって仙石原や強羅などの旅館や温泉施設にパイプを通して送られています。箱根のさまざまな施設に温泉を供給し続けることは容易なことではなく、現在も箱根温泉供給株式会社による作業は毎日行われています。硫黄や湯の花が造成装置や送湯管に付着し、一晩で送湯管が詰まってしまうことも。作業員は防毒マスクを着用し、これを除去する作業にあたります。
ゆかりのスポットその3
仙石原の大自然のなかに佇む「仙郷楼」は、老舗ならではの風格と落ち着いた雰囲気が漂う温泉旅館です。明治3(1870)年に「石村旅館」として開業。大正2(1913)年に現在の場所に移り仙郷楼と改称されました。渋沢栄一らが発起人となり進められた大涌谷温泉の整備・統合。このプロジェクトに大きく関わっていたのが仙郷楼です。当時、大涌谷の温泉権を所有していた仙郷楼は湯引菅の整備にあたり、同じく温泉権を所有していた他施設と箱根温泉供給株式会社へ共同出資。温泉に恵まれなかった奥箱根の宿に温泉が供給され、現在の仙石原周辺の観光業が栄えるきっかけとなりました。また、仙郷楼は、政財界をはじめ画家や文学者まで幅広い偉人が通った歴史ある宿としても知られています。渋沢栄一もその中の一人として名が残されています。現在、仙郷楼には男女それぞれに用意された露天風呂と大浴場のほか、2種類の貸切露天風呂があり、すべて大涌谷から引湯した温泉を使用。高低差を活かした自然の力だけで浴槽に注がれています。硫黄がほのかに香る白濁湯を100%源泉かけ流しで楽しめるのが魅力です。また、約15,000坪にも及ぶ庭園にも注目。一周約20〜30分の散策路があり、四季折々の植物を鑑賞できます。箱根の外輪山を眺めながら自然を存分に楽しめると多くの利用客から好評です。大涌谷温泉の歴史や渋沢栄一を思い浮かべながら、ゆっくりと癒しのひとときを過ごしてみませんか。
外観
庭園
ゆかりのスポット番外編
箱根湯本駅前商店街にある「箱根てゑらみす」は、ティラミス専門店。フォトジェニックなボトルティラミスやソフトクリームをテイクアウトできます。お店の看板や入り口にかかったのれん、商品パッケージには、箱根にゆかりのある偉人3人をモチーフにしたイラストを使用。そのうちのひとりに渋沢栄一が起用されています。箱根発展の歴史に敬意を込め、箱根の歴史を知ってもらうきっかけになるようなデザインとして描かれたのだとか。友人へのお土産として贈る際には、渋沢栄一と箱根にまつわる小話を披露しても良いですね。一番人気のボトルティラミスは「ティラミス プレーン」420円。使用しているエスプレッソは、じっくりと焙煎された地元「そうけい珈琲」のコーヒー豆を店内で抽出。エスプレッソの芳醇な香りと、北海道産マスカルポーネのクリーミーな味わいを楽しめます。ほかにも、抹茶、苺、ブランデー、期間限定のショコラなどフレーバーが豊富です。また、「ティラミスソフト」500円は、エスプレッソのビターな味わいと濃厚なミルクのコク、香り豊かなココアの風味がティラミスそのもの。周辺を流れる早川で涼みながら食べるのもおすすめです。
※オンラインストアで取り寄せも可能です。
外観
「ティラミスソフト」500円
渋沢栄一について知りたい方は、箱根湯本駅から徒歩5分に位置する「箱根町立郷土資料館」に立ち寄りましょう。箱根町立郷土資料館には、箱根の歴史や文化を学べるさまざまな資料が展示されています。令和3(2021)年の秋には、令和2(2020年)に耕牧舎が開業してから140年を迎えたことを記念して、箱根温泉供給株式会社とともに渋沢栄一の展示会を開催予定。牧場の開墾や温泉の供給など、それぞれの時代に行われていた箱根の事業を紹介する内容で、現在の展示に加えさらに充実した資料がそろいます。詳しくは施設HPよりお問い合わせください。
※令和3(2021)年4月5日時点の情報です。
箱根滞在中に位置情報を利用し、
周辺にあるスポットを見つけることができます。