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天正18年(1590)、豊臣秀吉は天下統一を目指して小田原攻めを行いますが、秀吉軍の将兵たちが底倉の湯で疲れを癒したといわれています。江戸時代には、箱根七湯の一つとして、賑わいました。
標高440メートル。早川と蛇骨川が合流する渓谷の上に位置します。現在は国道1号と蛇骨川にはさまれた形になっていますが、国道1号が宮ノ下まで開通したのは明治20年(1887)、さらに芦之湯方面に新道開削され始めたのは明治35年(1902)ですから、それまではもう少し広さのある地形であり、堂ヶ島や宮ノ下の一部を含めた範囲も底倉村と呼ばれていたようです。
底倉温泉は小さな温泉場ですが、対岸の山々は四季折々花や紅葉で美しく染まり、深山の秘境といった雰囲気がいまも色濃く残っています。
泉質 | 単純温泉、ナトリウムー硫化塩泉(弱食塩泉) |
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源泉総数 | 28 |
泉温 | 27〜95℃ |
湧出量 | 1020L/min |
箱根滞在中に位置情報を利用し、
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